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    葦笛コレクション
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作品31(歌集「ねむりのうち(昭和55年)」より)                 2009.8.2
 
貨車過ぐる音底ごもり聞こえゐて  ねむりのなかの両眼動く
                       坂田二三夫(潮音
  眠りに入ろうとして夜の床にからだを横たえている。やがてこの身に  眠りが訪れるであろう。周りは夜の闇ばかり。その闇のなかから貨車の  過ぎる音が底ごもりながら聞こえてくる。このいつものひとときにおい  て、作者は目覚めて昼間に物を見ている目ではなく、眠ろうとして閉じ  ている目の眼球が動いていることに気づいたのである。   この事実はありふれたことであろう。しかし、この気づきは尋常では  なく、どこか痛みを伴っている。眼球は思考と密接に関係している。思  考があるとき、眼球は動くのである。作者は、眠りの渕においてさえも  埒(らち)なくも揺れ動く思考という迷いの心に気づいているのである。

作品32(歌集「ひとつの影(昭和63年)」より)                 2009.8.9
 
何の音の続きゐるやと運ばるるごとねむりより  さめてをりたり
                        坂田二三夫(潮音
  同じく坂田氏の歌集「ひとつの影」より。氏の作品は、どれを見ても  しずけさに充ちている。それは内容が静態的であるだけではなく、語り  口が大人しいといったことでもない。人間の内面の奥深くにあるしずけ  さに根ざしているからだと思う。   この作品はそのことをしずかに証している。人間の意識全体を海とと  らえたら、思考や感情は海面にさわだつ波にすぎない。意識は広大であ  り、海の底にはひそかな意識の空間が広がっている。その意識の気配こ  そがしずけさであり、すなわち沈黙の世界なのだ。そこでは言語矛盾で  はあるが、「沈黙の音」が聞こえているのかも知れない。ねむりもまた  沈黙の世界に陥ることである。そこから帰還するときにも作者は、その  音に気づくのである。沈黙の音はそのまま宇宙の音なのかも知れない。   以下の作品もある。   風の音と聞きゐし窓の外の音常とどろけるわが内の音

作品33(歌集「揺れ揺れて(平成5年)」より)                 2009.8.16
 
天空にいたる思ひに立ちゐたり  身の八方はみな風ばかり
                      坂田二三夫(潮音
  「天空にいたる思ひ」とはなにか。たしかに私たちの肉体は地上のも  のからできており、死ののちは朽ち果て土に還るであろう。しかし、そ  のことを知る者はどこから来たのか。たましいの来歴は地上ではなく、  空にあるとの想念に囚われたのだ。そして、その衝迫にゆらめき立つ心  により添うものは風ばかりだと歌う。かかる詩想を観念的な感傷の吐露  とは思えない。まこと作者の内面にひらめいたひかりなのだ。   坂田氏からは、三十年にも及ぶご厚誼のなかで、三冊の歌集と随筆集  をいただいている。私も拙い歌集を二冊、お送りした。二十歳ほど年上  の方で、数年前にお亡くなりになった。実は氏は同じ街にお住まいで、  会おうと思えば会えたはずである。しかし、私たちは一度も会うことは  なかった。会わずして私は氏の詩心に共感し敬慕していた。氏の作品は、  私がかく在るべしと願う詩想をあまりにも親しく実現されていたからで  ある。

作品34(歌集「旅立ち」より)                             2009.8.23
 
ソクドびとの最後の都邑崩ゆる丘群れ生ふ芥子の朱雨に濡る 丈高き土塀を越えて柘榴の実穹わたる日にあかあかと映ゆ
                           井上 次男(砂金
 井上次男氏の歌集「旅立ち」は、いわゆる西域の風物に対する豊かな感応か ら生まれたもので、そこに西域の文化や史跡についての造詣の深さがうかがえ る。とりわけ、印象に残るのは、掲出歌に見られる「朱」「赤」といった鮮烈 な異郷の色である。  その色は、「冥府より明け来るに似て黒砂のかわくカラクム砂漠しらじら」 という砂漠の地に見出された色であり、神と共に悠久の時空にあるごとき人々 の暮らしに対する畏怖と共感から捉えられた色なのだと思う。雨に濡れる芥子 の朱、蒼穹に映える柘榴の実の赤、これらの色は、非情で即物的ながら、まさ に原初のいのちの色なのかも知れない。  ちなみに、最終章に次の作品がある。 ・死を見詰むる場面に遇はで復員すその後の生のあくまで脆し  ここで吐露されている「その後の生の脆さ」を埋めるものを作者は西域に希 求されていたのだと思う。 

作品35(歌集「旅立ち」より)                             2009.8.30
 
冥暗と夜空の藍とふたいろの無限球体に消えさうなわれ 星のほか光の見えぬ闇にゐて砂の無臭の浮力にひたる
                          井上 次男(砂金
 これらの作品は、実際に西域の国に過ごした体験にもとづいたものであり、 私たち日本人の箱庭感覚の「自然」の情趣をはるかに突き抜けた世界である。 ここには、わが身がすさまじいまでの空(くう)に投げ出されたようなおのの きがある。このおののきの中で、作者はいったいどのように己れを抱きとめて いたのだろうか。  井上氏は、西域の国々の国家プロジェクトを支援する工学博士であったとの こと。しかし、氏はそのような履歴をおくびにも出さず、ただ気さくで快活な 短歌の愛好家をよそおっておられた。数年前、私に歌集の制作を内々に依頼し ながら急逝された。氏の遺志をつぐべくご家族に歌集制作の打診をしたが、返 事はないままである。氏と親しかった人に聞くと、氏は生前、早くから「家族 ごっこはやめよう」と公言してはばからず、ずっと孤独な生活をされていたそ うである。今もあの明るい笑い声が耳に残っている。