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    葦笛コレクション
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  Vol.1  
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作品19                                           2009.5.3
 
冥利名聞すべて望まずしろじろと月明の路ただ行かむとす
                           田中 良(砂金
「冥利名聞(みょうりみょうもん)」とは利益と名誉のこと。これらはだれも が求める人生の甘露であろうが、それは「何かになる」「何かをする」行為に 対する報奨である。たしかにその努力は、人生に目的と意味をもたらすもので ある。しかし、この冥利名聞の世界に黙って背を向ける歌びとがいる。つずま り、自我を肥大させ、いわれのない欲望にせきたてられる苦の連鎖に他ならな いこと、本来の意味で自己変容の契機とはならないことに痛みと悲しみを覚え るからである。  他人はいざ知らず、作者は「冥利名聞すべて望まず」という覚悟に己れを律 しようとする。歌びとにとって大事なことは、「何かになる」「何かをする」 ことではなく、身めぐりの一つひとつにいかに全面的に在るかなのだ。しかし、 人生へのかかる姿勢は、陽の当たる路ではなく、しろじろとした月明の路を独 り歩むことである。冥利名聞の世界から見れば無為の態度であり、一種の不健 全さでもある。毒をはらむものかも知れない。その謗りに甘んじつつも「ただ 行かむとす」る。これが西行以来、歌びとの心底に脈々と流れる風雅への志な のだと思う。 「何を歌い何を遺さむ夜ふかき海峡に聞く渦潮のこえ」

作品20                                           2009.5.10
 
 生も死もひとつの命たそがれを点して夏をゆれる野の風
                           鳥山 佳克(砂金
「生も死もひとつの命」という断言。この思念のふかみに私たちは誘われて いかねばならない。生は死があってこそ生であり、死は生あってこその死であ る。コインの裏表である。この一如を作者は「いのち」と会得されるのだ。こ れが諦観であろう。諦観とは諦めではなく、受け入れることによって一如に至 ることだと思う。そうした一如の境地に見える夏の暮れ方の野がある。そこを 過ぎていく風がある。「たそがれを点して夏をゆれる野の風」。たそがれの野 の点景となるのは風であるという認識は孤絶の戦きに満ちている。それは此岸 の風でありつつ、同時に彼岸へわたる風でもある。そしてまた、その風は作者 自身のいのちなのかも知れない。

作品21                                           2009.5.17
 
 病む人に手紙つづりしその後のかたすぎる 五月のシューアイス
                          柴田 明美(砂金
「病む人に手紙つづりし」ことと、その後、口にしたシューアイスのかたす ぎる食感との関係に合点がいかず、「意味がわかりにくい。独りよがりの表現 ではないか」と思われるかも知れない。しかし、人の感情はもともと理路整然 と説明できるものではなく、また言葉にしたらこぼれ落ちてしまう微妙なもの なのだ。西東三鬼に「葡萄あまし静かに友の死を怒る」という俳句があるが、 この作品も同じ表現の構造をもっている。定型の中において、この強引ともみ える食感とのぶつけ合いにより、かろうじて輪郭されてくる屈折した固有の感 情がある。五月というさわやかな季節の只中に、歌びとは病いや老い・死とい う人間の厳然たる宿命をなおさらに感知しているのである。

作品22                                           2009.5.24
 
どくだみの花のふちどる白き道そのしずけさに添いて歩めり
                           田中 ィ子(砂金
「白の章」の連作の一首。他に以下の作品もある。  湿りもつ小暗き道に群れて咲くどくだみ白きしろきしずけさ  梅雨ぐもる空をはじきてどくだみの白き十字の花のまぶしも  これらの歌は、十薬の白い花の気配に対する作者ならではの深い感応を同工 異曲に歌っているが、就中、私は掲出歌に感銘を受ける。  「どくだみの花のふちどる白き道」は対象の複写ではない。かく表現された ことによって初めてリアリティを持った作品内部の「白き道」となっているの である。そして「そのしずけさに添いて歩めり」という「付け合い」によって、 作品は「実」の次元を超え、非日常の気配を放ってくるのだと思う。十薬の白 い花の静けさに添って歩む心、その不可思議なおののきが「言葉の裂け目」に 翳っているのだ。

作品23                                           2009.5.31
 
 竹風鈴吊す窓辺にそれぞれの風の音色を聞きながら臥す
                          杉野伏美子(砂金
「詩」を受胎するにふさわしい特段の題材などはない。詩はさりげない物事 との全面的な関わりの中に生れてくる。  体調をくずした作者がひとり床に臥している。窓辺には竹風鈴が吊るされて おり、ときおり吹いてくる風に揺れて鳴りいづる。それだけの世界…。しかし ながら、作者にとっては「いま・ここに」充溢するいのちの世界なのだ。ここ に全面的に在るとき、目に見えない風の存在に触れる。「それぞれの風の音色」 という詩句は、かくして生れたのだと思う。風は竹風鈴を通して、作者のたま しいに添うおのが音色をそっと告げているのである