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葦笛コレクション Vol.3
折にふれて感銘をうけた詩歌をご紹介しています。


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作 品96                                                       2013.1
  闇に眼を閉ぢゐて想ふ
 虫しげく今宵に似たるすぎゆきのこと 

                                                                   安藤 昭司 (砂金

 部屋の電灯を消し夜具に身を横たえる。周りは闇。しかし眼を閉じてたちまち広がるのは内面の闇である。独り対峙するうちそとの闇に虫のしだく声が充ちて くる。その一刻に作者はただ覚めて在る。そのときふと「今宵に似たるすぎゆきのこと」が想起されたと呟く。今宵の孤独感は過去にもあった。この自
ら抱え込む孤独をいかんせんといった感慨の切実さに加えて、この一刻の闇は、還りては戻ってくる同じ闇、「別なる時間」の闇ではないかというおののきを感じとりたい



作品97                                                                                              2013.1
 秋麗の空見上げては歩道橋の
一段づつを踏みしめ登りぬ


                       杉野伏美子(砂金



 弱った足腰をかばいつつ慎重に歩道橋の階段を上がっていると
いう事態は、作歌に際して依拠した「事実」ではあろうが、作品
に内包された「現実」ではない。表層の歌意を手がかりに、こと
ばの向こうに「現実」を感じるというのが歌の鑑賞だと思う。逆
に言えば、そのような感応の可能性を骨格することが表現ではな
いだろうか。「秋麗の空」を見上げては一段づつ登るという表現
自体が語るもの、その一歩に「踏みしめ」と気づきを傾けている
という表現が語るもの、それは微かな意識の疼き、例えばいまを
生きて在ることに関わる切実な希求のごときものだと思う。

作品98                                        2013.1
 物忘れくり返す日々のさみしさも
没ちゆける陽の中に消えゆく 

                        谷 怜子(砂金



 歳とともに物忘れがひどくなり、今日もまたなにげない物忘れ
をくりかえす。そうした「日々のさみしさ」とは、老いそのもの
のさみしさであろう。「さみしさも」の「も」に言外にそれだけ
ではないという含蓄がある。下句の「没ちゆける陽の中に消えゆ
く」は、そうした老いの日が一日一日、平穏に完結していくこと
への静観の思い、さらには、やがて終の日につながるという感慨
を秘めていると思う。