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葦笛コレクション Vol.3
折にふれて感銘をうけた詩歌をご紹介しています。


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作 品109                                          2014.1
  晩学のわれを動かすものありて
頁に挟む栞一枚

               
内田 仁 (砂金


  大野林火に「期すものに老後も初心水澄めり」という俳句
がある。歳を重ねても勉学に勤しもうとされる熱い志…。人 生体験を積み重ねて来た熟年者の勉 学は、若者のそれとは質 が違う。未来に向けて身につける知識や技術ではなく、ただ 己れ自身の「いま・ここ」に確かな手応えを求めるものだと 思う。 「頁に挟む栞一枚」は、そうした日々のつつがない完 結を独り感謝する気持ちが籠っている。



作品110                                                                                 2014.1
 
 山びこを呼んでみる気もなくなりて
 いつしか老境の身になりしかな


                       蕨 みよし(砂金



  自らの老境の感慨を「山びこを呼んでみる気もなくなりて」
 という形容で語っているのだが、まったく老境とは思えない。
 むしろ無垢で若々しい感受性を感じる。山彦がいまなお作者の
 心に響いているはずだ。
  定型は逆説めいた不思議な働きをする。「なくなりて」と否
 定してみせながら、逆に巧まずして当の否定したものを肯定・
 主張することになるのである。「○○といふほどならず」とい
 った韜晦的な表現も同じである。
 


作品111                                 2014.1
 
どこからか木犀の香のただよひて
足止め見回す秋天高し 
 
                                                   佐藤多美子(砂金


  きわだった妙味のある表現、新奇な表現ではないのだが、
 この何気ない叙景歌に不思議な魅力を感じてならない。第四
 句までは、ただよってきた木犀の香に足を止め、その依って
 来たる木を探しているという出来事の報告である。ところが
 結句「秋天高し」によって、出来事を含む「全体」が現れる。
 木犀は秋の万象の点景となり、作者の心が響き合うごときだ。
 客観でありながら、そこにほの温い主観が灯っていると思う。