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葦笛コレクション Vol.3
折にふれて感銘をうけた詩歌をご紹介しています。


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作 品112                                          2014.10
  潮ながれ刻ながれをり白鳥の遠きは
海をやさしくしている

               
田中 良 (砂金

  海峡を潮がながれている。作者はその光景を「潮ながれ刻ながれをり」と歌う。どこか心急かれる気配、どこか心すさむ無常感をそこに覚えているからであろ う。そんな作者の眼差しの向こうに白鳥の姿が見える。それは点景として、雲間からの一条の光のごとく海をやさしくし、同時に作者の心をやさしくする、そん な感慨にかられたのだ。雄渾にして繊細な作品。



作品113                                                                                            2014.10
 
 徒長枝の思いのままの庭木々に今年も長雨
 降りつづき居り 


                       杉野伏美子(砂金

 「全体喩」といった喩の分類があるが、この作品はたしかにそこで
語り、示された出来事・情景の全体がなにかの喩となっているとも言
える。しかし、そんな分析・解釈ではなく、ただこの作品のかもす情
感に浴することの方が大切だと思う。植木としての成長や整姿の点で
忌み嫌われる徒長枝が伸び放題になっている庭の木。その荒れた風情
を「今年も長雨が降り注いでいる」と、さらに増幅する。これによっ
て、この作品に長く「家」を見守ってきた作者の心の底のなにか、鬱
屈めいた情感が翳ってくる。

作品114                                                2014.10
 
風のなき網戸の向こうに一本の電柱の影が
濃くやけている
 
                                                   近松 壮一(砂金


 晩夏の光が照りつけている昼下がり。いつしか風も熄み、一種異様な
までの静けさに満ちている。作者はその「外の世界」を網戸越しに見て
いるのだが、その一刻に秘められたなにごとかを感じとる。「一本の電
柱の影が濃くやけている」とは、その言葉にできない気づきに至る契機
そのものなのだ。観照のきわみの作品として敬意を表したい。


作品115                                               2014.10
 
永らうことも精魂のいるものを 無機質な
 胃ろうの管が垂りて夕暮れは
 
                                                   倉本 薫子(砂金


 非情なまでの凝視にたじろぐ。胃瘻の管を装着している伴侶に対する
思いは、想像を絶するものだが、それを露わに嘆くのではなく、「永ら
うことも精魂のいること」「無機質な管」などと、敢えて突き放した思
念による描写に転化する。生死の意味は医療の次元に託されるべきでは
ない。自ら一人ひとりが受け止めるものだ。そんな根源的な問いを孕ん
だ作品だと思ってやまない。