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葦笛コレクション Vol.3
折にふれて感銘をうけた詩歌をご紹介しています。


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作 品103                                                    2013.6
  無人駅いくつも過ぎて
古里は終点の駅 風停まる駅
 

                                                                   及川 秀子 (砂金

 極論すれば、「詩」を孕む歌は、出来事の報告でも風物の模写でもなく、それらに触発された感懐の吐露でもない。その表現自体において言葉が「詩の言語」に変容し、新たな真実を現(幻)前させるものだと思う。
この作品は、たしかに事実に依拠した表現である。しかし、結句「風停まる駅」が一気に作品を詩の次元へ昇華させている。かくして普遍的な郷愁のきわまり、そのよるべなさが作品から滲みだすのである。



作品104                                                                                            2013.6
 しみじみと春はさみしき花ありて
 風のひかりて 今一人なり


                       及川 秀子(砂金



 この作品も「風のひかりて」が重要な働きをしている。風は時
空にも彼我にもかかわりなく吹き通る。そして意識を覚醒させる
ものかも知れぬ。いのち盛んな春の真昼に作者は「さみしき花」
と一体となり、その混沌において、むしろ満たされた孤独に在る
のである。

作品105                                      2013.6
 春の鐘ひびき合うなり風のむた
 出で発つ者よ高く羽博け
 

                       及川 秀子(砂金



 「風のむた(共)」は風と一緒にといった副詞的な意味で使われ
る。ここでは「春の鐘」も「出で発つ者」も風のむたのように解
される。おそらく、出で発つのは死出の旅人であろう。駘蕩たる
春にこそ生死を越えるものを幻視するのだ。