生きて在ることはまことか こつぜんと
崖(きりぎし)となる夕茜空
谷井美惠子(砂金)
「砂金」十二月号の作品。田中良氏が二月号で見事な批評を寄せておら
れるので、それを転載させていただく。
青々と晴れわたる秋の澄み透った様な大空。いま忽然と夕焼けの朱が天
壁にかけ登り、壮大な宇宙の一端を見せる。其処に立つ人間の微小さ。今
こうして生きている現実は果して本当なのか、どうか。人間なんてスクリ
ーンに写し出された映像に過ぎないのではないか。時間も空間も本来は人
間が作り出したものではないのか。映像はフィルムが切れると消滅してし
まう。その時が死。然し大本のフィルムは、そのまま残っている。作者は
ただただ天地と一体化して眺めている。
自己が完全に空無化した時、逆に自己を活かしめているものの力を、ひ
しひしと実感する。人間の高度な精神活動は、現実を超えた形而上的な世
界を見、構築する事にある。人は其処に於てこそ、此の生を諾う事が出来
るのかも知れない。
若干、敷衍させていただくならば、釈迦の教えのように、色や形は人間
の視覚の及ぶかぎりにおいて視野に現れる存在の性質の一部にすぎず、見
えざる世界はいつもそこに在る。田中氏の言う「形而上的な世界」はこの
ことを指している。谷井美惠子の詩魂はこの世界にふれているのだと思う。 |