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葦笛コレクション Vol.2折にふれて感銘をうけた詩歌をご紹介しています。

葦笛コレクションVol.3

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作品88                                    
   音荒く夜半を降る雨
ぬばたまの闇に眼つむりわが覚めてある

                                                                  安藤昭司(万象・砂金

 安藤昭司さまは歌誌「万象」の主宰であるとともに、私が
所属する「砂金」の顧問。信頼する歌びとの一人である。
 灯火を消したまっくらな臥所の中で、眼を閉じてじっと窓外の荒荒しい雨の音に耳を澄まし ている。激しく雨の降るさまを「音荒く」と捉えることで、いきなり作者の耳のうち、意識の世界へ読者を誘うのである。「眼つむり」は、ただ雨の音を受け入 れることを示しているが、まるで心奥の荒野に自らを追いやろうとするがごとくである。その密かな自己放擲に、むしろ本来の自己を確かめているのだ。「わが 覚めてある」に重い気迫がこもっている。



作品89                                  
 曇り日の風に靡ける竹が見ゆ
  昼をともせる部屋の内らゆ


                          安藤昭司

 曇り日のぎらつく光のなか、竹が風に靡いている。かく描か
れた竹の姿は、どこか荒んだ不穏な予感に満ちている。
 それを見定めている場は「昼をともせる部屋の内ら」とのこ
と。単なる状況の提示のようであるが、定型空間のなかでは、
上句と下句が照応して、一種の緊迫した情調をかもすのである。
「昼をともせる部屋の内ら」とは、作者の意識のありようの象
徴なのかも知れない。暗いまなざしに竹がざざめき応えている、
作者ならではの固有時が刻印されているのである。

作品90
                                    
 大方は泛けるのみなる鴨にして
 その背秋陽に輝かせゐる

                           安藤昭司

 「大方は泛けるのみなる鴨」との捉え方には、空を翔けるとい
う「有為」ではなく、惰眠のごとく「無為」のうちに水面に浮か
んでいることへの苦々しい感興が込められているのかも知れない。
それは、翻って己れ自身への不如意の思いにつらなっている。
 しかし、その鴨の背中は秋の日差しを受けて輝いている。身の
うちそとに厳しい眼差しを向ける作者ではあるが、それゆえにま
た、受苦の葛藤に倦み果てた無心のうちに、ふとしもの恩寵の光
を見るのではないだろうか。在るがままを見ているのだ

作品91
                                    
 秋長けし光り差し添ふ石ひとつ
 白く乾きて一隅にある

                           安藤昭司

 けばけばしく輝く秋の色が、一隅に置き去りにされた石にきわま
っているのである。この非情なまでの明白さに痛む心…。
 「秋長けし」の初句切れは、白く乾いた一隅の石に光が差し添う
状況を統括しながら、再度、初句に還って普遍的な秋という時間へ
誘い込んでいくようだ。