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葦笛コレクション Vol.2   
折にふれて感銘をうけた詩歌をご紹介しています。

葦笛コレクションVol.3

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作品65                                       2010.7.1
  水の上を踏みて歩けとはるかより 父の潮騒きこえてをりぬ
                        谷井美惠子砂金

人の意識というものは、とてつもなく遠くまで辿りゆくものかも知れな い。人は心という思考装置と五感の器官をもって世界と関与しているのだ が、その感受は結局それだけの範囲に限られ、その限られた局面しか見え ていないのではないか。しかし、意識は時空を越え、具象と抽象を越えて、 直接かつ全面的に世界と応答しうる潜在能力を有しているのかも知れない。  「水の上を歩く」ことは、この世の物理現象としては、もちろんありえ ないことである。しかし、かつてイエスは水の上を歩いている。この奇跡 を前述のような意識の働きを示すものとすれば納得できる。「水の上を踏 みて歩け」という潮騒に紛れた「はるかよりの父」のメッセージは、なに を語っているのだろう。これは幽明へだてた父との交感のあり方(秘法) を示しているのかも知れない。あるいは今生の死というものを意識の深み で受けとめた「精神のリアリズム」と言うべきだろうか

作品66                                      2010.7.15
 
 ひとすぢの月のひかりは路傍ゆく わがまなぶたをかたく閉ざしぬ
                         谷井美惠子砂金)
 彼女はしばしば歌会の席上などで「事実と現実は違う」「歌は意味では ない」といったことを語っておられる。彼女の言う「事実」とは「推移し てゆく事」に他ならず、「現実」とは物の内面の真実に触れた「精神のリ アリズム」であろう。事実をいくら叙述しても、それは過去の思考や感情 のパターンを繰り返す意味に収斂するだけである。いま・ここにおいて意 識の深くに関わった物の内面の真実、そしてそれと一体となった新しい全 面的な感応こそが彼女が求める「詩」なのである。「存在の詩」なのだ。  月のひかり、それは陽でなく陰の光である。陽光に照らされ明るく息づ くものがあれば、陰光に照らされ暗く息づくものもある。そうした月のひ かりの本質に深く感応することから、彼女の「精神のリアリズム」が怪し く狂おしく形をなしてくる。あまねき光でなく「ひとすぢの月のひかり」 と受け止めるのはその対峙の気迫のゆえだ。そこに在りつつ、月のひかり に照らされた異形の物をもはや見てはならないと、ひとり戦く彼女がいる。

作品67                                      2010.8.1
 
うす紙に白椿の実をつつみをり なべてのことにけふさきがけて
                         谷井美惠子砂金)
 地上に落ちた椿の実はやがて罅割れ、茶色い種子が現れる。それを天日 に干したのち搾ると椿油ができる。およそ椿の実四升で一升の椿油が搾れ るとのことである。彼女は椿油をつくるために椿の実を拾ったわけではな いだろうが、こうした昔ながらの人間の営みを真似びつつ、なにか別の神 聖な行為のごとくに「うす紙に白椿の実をつつむ」のである。神前に燈明 をあげる儀式のごとくに感じられもする。しかも「なべてのことにけふさ きがけて」なのである。  この行為は有目的の行為ではない。しかし、なべてのことにさきがける べき、おろそかならぬ朝の勤めなのである。そこになにがあるのだろう。 花の不思議、実の不思議に心うたれつつ、ただただいのちの尊厳に頭をた れる密かな儀式なのかも知れない。なお、赤椿でなく白椿であること、こ これは、地上の椿の無常を天上にも通う無常として普遍化する眼差しのゆ えであろうか。

作品68                                      2010.8.15
 
  水面のきらめきあふれながれゆく

  そのみなもとの静寂おもふ
                        谷井美惠子砂金)
 陽のひかりを反ね川の面を流れる水がきらめいている。いつまでもきら めいてやまない。そしてまた、せせらぎの音も永劫に続くがごとくである。 その目に見え耳に聞こえる現象の向こうに彼女は、そのみなもとたる静寂 を感知するのである。静寂とは、物の動きの不在、物の音の不在ではなく て、物の本質としてある一種のスペースなのではないか。万象の全てはそ こから立ち現れてくる。そこに真実が隠されている。隠されているという よりも、ただ私たちが気が付かないだけなのかも知れない。人間の心など は、水のきらめきよりもさらに喧騒に満ち、いのちのみなもとから分離し た迷いの時間を動き続けている。「歌はしづかにしづかに思いをひそめた 独りきりのところから生れてくる」。たしか彼女はこのような意味のことを 語っておられた。歌は静寂に根ざしてこそ、「存在の詩」となるのだ。