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葦笛コレクション Vol.2   
折にふれて感銘をうけた詩歌をご紹介しています。

葦笛コレクションVol.3

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作品61                                       2010.5.2
うしろ手に日暮るるみちを花ぐるま  ひきてゆくなり只ひたすらに
                         谷井美惠子砂金

花車は、花で飾った山車と花を積んだ車の意味があるが、ここでは後者 の意味であろう。たった一人で黙々とうしろ手に曳いている気配がするか らである。たしかにひとつの具象である。しかし、この具象はなにか普遍 的な哀しみ・苦しみを象徴する儀式めいた所作として表現されたものであ ろう。車に積まれた花とはなんだろう。おそらく人生を彩る華やかなもの ではなく、むしろ否応なく自ら惹き起した業(カルマ)の堆積のごとくに 感じられる。両手を前に出して花車を押すのではなく、両手を後ろにして 曳き行く構図がどこか悲哀を感じさせるのは、このためである。  彼女の作品には、こうしたよるべない心魂のきわみを象徴するような儀 式めいたイメージがよく現れる。次の歌も同然である。 ・このままに居なくなりゆく心地して花を一りん咥えてをりぬ

作品62                                      2010.5.9
 
 人はみなひとりの花をもちてゐつ  生れしくにの花をいだきて
                        谷井美惠子砂金)
 ここで示された花は、独りの人間が持って生れた宿命的なもの、そして また、潜在的な可能性といったものを指している。それはおそらく楽観的 なものではなく、もちろん世俗の栄誉栄達とは無縁なものであろう。彼女 が「花」を持ち出すとき、人間のスピリチュアルな到達点を暗に示しなが らも、むしろ、その到達を阻害する業(カルマ)も同時に引き寄せている ように思えて仕方がない。彼女の花は「罪の匂う花」なのだ。「人はみな 一人ひとりのこの世の苦を通してのみ咲くであろう花を抱えている」と、 彼女は悲嘆するがごとく宣明する。「生れしくに」とは現世の出自の国で はない。おそらく、過去世のことだろう。その業(カルマ)の連鎖を断ち 切ることが求道の大義なのだ。そして、ひとりの花をひとすぢ咲かせると いうことは、心魂を浄化することであり、それは「存在の詩」を歌い続け ることに他ならない。

作品63                                      2010.5.23
 
うすらへる水のほとりを行きにつつ人間、 と声にいだしたりける
                        谷井美惠子砂金)
「うすらへる水のほとり」とは、冷気のそこで薄氷の張った川、あるい は湖の畔のことであろう。この薄氷(うすらひ)には、万葉集の「佐田山 に凍り渡れる薄氷の薄き心をわが思はなくに」の歌のように、「薄い」に かかる枕詞としての活用例がある。ここでは薄氷は脆く危ういといった意 味をもつ。しかるに、谷井美惠子のこの作品では、そのニュアンスを継承 しながらも、水が冷気によって氷るという本来の意味、その「変容」に対 する深い戦きをまとっている。「うすらへる水のほとり」と一体となった 意識のなかで、彼女は物の無常と変容のあるがままの実相に驚愕したので はないか。そして、間髪を入れず、人間という危うくも温みもつ肉体とし て在ることの不可思議を想起してやまなかったのではないか。どんな形体 にも順応する水でさえ氷る…。噫、われら人間にもかかる「氷点」がある のではないか。

作品64                                      2010.6.6
  生みたての卵をいだき夏草の野をわたりゆく
  
  この寂しさは
                         谷井美惠子砂金)

 卵に宿ったいのちは、自らその殻を破り、陽のそそぐ外界に出なければ ならない。それは危険と困難への旅立ちであり、卵という沈黙の安逸の世 界から放擲されることでもあろう。釈迦はにんげんの苦に病いと老いと死 に加えて「生苦」も挙げているが、おそらく人間もまた生れるということ は、すでに根源的な苦の始まりなのかも知れない。彼女は生みたての卵を 抱きながら、いのちの繁茂する夏草の野を茫洋とわたりゆくと歌う。わた りゆくのは、彼女というよりも彼女の意識の底に息づいている「寂しさ」 の本体であろう。  以下の作品も、卵に寄せて同様の痛みを歌いとめている。 ・在ることの哀しみおもひをりにけり 手に持つ卵おもくなりゆく