帰り来て灯りともせば鏡となる 窓のわが影夜のかすみに 野田頭照子(砂金) 一人住まいであろうか。わが家に帰り、照明のスイッチを入れる何気な い日常の所作において、作者は夜のかすみを背景として鏡のようになった 窓に自分の影が映っていることに気づいたのである。それは否応なく直面 してしまった己れ自身への微かなおののきでもあろう。淡々としたこの表 現のなかに、生活者の孤独なけはいが感じられてくる。
ゆふぐれに一樹の陰を伴ひて 剥がれたやうな黒さを歩む 塩谷いさむ(砂金) 夕闇のせまるひととき、おそらく作者は独りで帰途に着いている。歩み ゆく道に樹の陰となり、ひときわ暗いところがある。そこへ歩を進めたと きの底深い心の揺らぎを捉えている。「剥がれたやうな黒さを歩む」に、 ふとしも開かれた暗黒の世界へ踏み入るごときおののきが感じられる。 具象でありながらも、一瞬のうちに暗黒心域(中原中也)の抽象となる表 現の不思議を作者は見逃さない。
今朝いまだ皎皎とみる満月をわがものとして 枯れ葉ふみゆく 松田 いさ(砂金) どういう天文現象かはよくわからないが、夜があけても月が見えている ことがある。その奇妙な違和感は、どこか頼りなくわびしげな心象につな がる。「昼の月」は短歌や俳句の題材としてよく取り上げられるが、作者 は朝空の「皎皎とみる満月」に着目した。この満月は、すでに光を放つべ き時空からはぐれて、夜のあけた空に取り残されているような印象をもつ が、作者は逆に前向きに「わがものとして」受けとめ、人生の冬の「枯れ 葉を踏みゆく」のである。
夕闇に沈みゆく音さまざまに流れゆくなり 海に向いて 蕨 みよし(砂金) 海より空へ昇った水はやがて地上に降り注ぐ。そして森の地中に溜まっ た水は伏流となり、やがて地上に出て川となる。そして流れ流れて海へ還 る。このように流れ還っていくものは水だけではない。作者は「音」を捉 える。その音は、生きとし生けるものの営みを象徴するがごときだ。おそ らく夕闇に染まる川辺のせせらぎの音から着想された詩想であろうが、万 象の無常と回帰のさまを普遍化されていて、感銘を受ける。