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葦笛コレクション Vol.3
折にふれて感銘をうけた詩歌をご紹介しています。


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 作品138                                                                                           2018.6
 
 友不在一輪咲いた水仙に迎えられつつ踵を返す
 
                              清水シズヨ(砂金

さほど遠方ではあるまい。外出のついでにふと思い立って足を延ばして友人の家
を訪ねたのであろう。しかし、友はあいにく不在。そこで踵を返したのであるが、
作者はその際の不如意の気持ちを玄関先に「一輪咲いた水仙に迎えられつつ」と、
転換したのである。「一輪咲いた水仙」は、大切な友が変わりなく安穏に暮らして
いることを象徴するかのごとくだ。植物を愛ずる作者ならではの「こころさばき」
がゆかしい。

  作品139                                             2018.6
 
アスファルトの隙間に一輪矢車草
とおき記憶の果てにもありぬ 
 
                               鈴木 宏治(砂金


  たしかに「なぜこんなところに咲いているのか」と痛ましく思うほどに、植物は
石垣や舗装道路の隙間からでも生い立っていることがある。作者は、「アスファルト
の隙間に」咲いている一輪の矢車草を眼にとめる。おそらくその様子に矢車草の健気
さを感じるとともに、その過酷な運命を垣間見ている。そして瞬として「とおき記憶
の果てにもありぬ」という既視感に囚われたのである。「記憶の果て」とはトラウマ
の潜伏する意識の深みのことであろう。到底そこでは種子を育むことなくも、咲きき
ろうとする矢車草。そのイメージに照応する「遠い日」の苦しくどこか甘美な思い出
がある…。青春の挽歌。



 作品140                                                   2018.7
 
薄暮れてほのか日の射す裏庭に高からず低からず宵待草咲く  
 
                                                         内田 仁(砂金


しずかな自然観照の作品。薄暮のひととき、裏庭に残照のひかりが射しこんで
いる。そこに宵待草がつつましく花ひらいているのに気付いたという歌意である。
ただそれだけのこと。しかし、その小さな現実が尊いのだ。そうした眼差しに、
「高からず低からず」という自ずからなる草丈の「ほどのよさ」が発見されるの
である。


 作品141                                                          2018.7
 
星座さへ埋もれてしまふ星の海
  ひともけものも透きとほりゐて 
 
                                                            藤本 美智子(砂金


夜空を覆い尽くすがにいちめん散りばめられた星々の煌めき、それを作者は
「星座さへ埋もれてしまふ星の海」と把握する。それは満天の星の視覚的な横
溢感を表して余りあるが、さらに下句で「ひともけものも透きとほりゐつ」と
畳みかけることによって、この惑星に生起するいのちの営みとは比べるべくも
ない、永遠性・無限性といったものに対するおののきをも感じさせる。


  作品142                                                   2018.7
 
更地となり浄むるやうに
さらさらと舞ふ揚羽蝶影を落として  
 
                                                        伊佐地 博子(砂金

姑にも仕えたであろう夫の実家の解体工事が進み、眼前にあるのは更地の空虚
である。かつては其処で、さまざまな喜怒哀楽のドラマが繰り広げられたはず。
それらが全く無に帰したとは思えない。残留思念のごとく、この空間に残り、浄
化を望んでいるのではないか。更地を舞う揚羽蝶がそれを告げる…。