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葦笛コレクション Vol.3
折にふれて感銘をうけた詩歌をご紹介しています。


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 作品133                                                                                           2018.5
 
 陽だまりの温みのなかにうつうつと
魂ゆらぎつつ時ながれゆく
 
                              畑中 千恵子(砂金

「陽だまりの温み」のなかに息づくものとして「魂」を感じ取っている。その
「魂」は黄泉へ旅立ったはずの人の魂なのか、あるいは自分自身の魂なのか、い
ずれにせよ、鬱々として揺らめく魂、見えざる魂との交感の世界である。明るい
のにどこか冥い気配のなかを流れる「時」は、この世を超えた「別なるじかん」
であろう。

  作品134                                             2018.5
 
今ははや老いづく眠り浅ければ
しばしば覚めて夢見がちなる 
 
                               安藤 昭司(砂金


 老いることは眠りが浅くなることである。眠りが浅い状態で人は夢をみる。こ
の生理を作者は「眠り浅ければしばしば覚めて夢見がちなる」と、夢にすら醒め
ているような屈折した捉え方をする。そこで想起される夢は幼日のおぼろな記憶
なのか、青春時代の感傷と悔恨なのか。はたまた壮年期以降の葛藤なのか。それ
とも現在の茫洋たる寂寥なのか…。いずれにせよ、作者の「夢見がち」とは、ど
こか醒めた苦い想念の受苦のごときだ。


 作品135                                                   2018.6
 ひと冬の我が鬱なるやガラス窓
拭えど頑固にくもりとれざる  
 
                                                         及川 秀子(砂金


 その要因が精神的なものか、肉体的なものなのかは定めがたくとも、人はしば
しば鬱に陥る。気がふさぎ、心が晴れない。作者はそのような状態を「なかなか
拭えないガラス窓の頑固なくもり」と比喩する。作者独自の表現である。かく客
観視したとき、「ひと冬の我が鬱なるや」との上句の述懐が示すように、すでに
鬱から脱しつつあるのだと思う。


 作品136                                                          2018.6
 
年ごとに見納めならむと仰ぎきしが
常なる春や病舎のさくら 
 
                                                            百武 皐月(砂金


わが身の老いと病いを自覚する者にとって、年ごとの桜の開花は「今年が見納
めかも知れぬ」といった思いで迎えるものであろう。しかし、よくよく思えば、そ
んなこちらの無常の思いとは関わりなく、桜は常なる春に咲くだけである。もちろ
ん、死と隣り合せの病舎のさくらも然りなのである。感傷に自己充足しない、凛と
した詠出に感服する。


  作品137                                                             2018.6
 
夜の窓に風が鳴るとき爪切りの向きあう
刃先がふと構えたり  
 
                                                        近松 壮一(砂金


 なんとも鋭敏な感覚が形象化されている。夜更けとなって風が出てきたようであ
る。それは窓をたたく風の音でそれとわかる。そのさりげない気づきの延長に、い
つも何気なく使っている爪切りに眼をとめる。そのとき作者は「爪切りの向きあう
刃先」が意思をもつ凶器のごとく「ふと構える」、そんな気配を察知したのである。
擬人化による事の歌ではなく、冴え返った意識に照応する物の歌である。