今生きて歩みておりぬ
死後もまたいま生きて歩みいると思うや
山下和夫(埴・発行人)
作者は「あとがき」において、独自の「詩」の方法意識を述べている。
―すこしく気にとめてきたことは、実在と不在の両者の間には、それを
つなぐ分厚いハーフな詩的領域があること。そして、そこから両者を見る
ことであった。そうすることによって、これら三者はつねに揺らぎつつ互
いに影響しあい、実在は、実在でありつつ実在ではなく、不在も、不在で
ありつつ不在ではない象を醸し出す。言いかえれば、ハーフな領域の挿入
によって、実在と不在、または、此の世と彼の世、真と偽などといった明
確な断絶は溶解され、三者は混沌としてゆれ動く詩的領域を創り出す。
これは、見えるものと見えざるもの、生と死、具体と抽象などの二元論
を越えたところのものを幻出させるための仮構された視点を語っている。
この掲出歌は、その方法意識をあらわにしたものと言える。「此岸にあっ
て今生きて歩む自分」と「彼岸にあっていま生きて歩む自分」を同時に見
すえる仮構の視点において、作者は混沌とした意識の深みにゆらめき落ち
るのである。
・ここにいぬ者たちのため ここにいぬ者たちと鼓打ちてそうろう
・長塀を揺れて脱けたるわれの影ふたたびこの世の土歩みいる
これら作品も同じ意識の構造を持っている。実存の次元の推移と不在の
次元の推移は、同時進行しているのではといったおののきにおいて、作者
は「詩の現実」を「全体把握」しているのだ。 |