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   葦笛コレクション
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作品6(歌集「アクエリアスの水」より)                          2009.2.1
 
ふたたびを会えざるものの増えつづく雨過天青の空の色など  

                            寺田由紀夫(原型
 
 人生のたそがれを自覚する者にとっては、見聞きするさまざまなものが「ふたたびを会え ざるもの」として感じられてくる。それらは、遠く離れた知己との逢瀬とか、もの珍しい風物の 体験といった特別なものでなく、むしろ日常のありふれたなにげないものである。例えば、 雨のあがった後の清らかな空の青さ、その美しさにいまさらのごとく心うたれるのだ。  下句「雨過天青の空の色など」における「など」の働きに感じ入る。この「など」は「とりたて て強調する嘱目でもないが…」といった意識の彩を翳らせ、意味の主張を軽くしているの だが、軽くすることで作者の執着のない心の姿勢を証すとともに、「雨後天青の空の色」そ れ自身が深い意味を開示しはじめる…。「軽くして重くする」詩の表現の逆説なのだ。  ちなみに、空の青さについて、作者は次のような詩想でその本質を捉えている。  「淡き青を重ね重ねて淡きまま底知れぬ青となりて空あり」。

作品7                                           2009.2.8
 
 あれ、それと指示代名詞ふえてゆき記憶の底を掬わんとする
  

                              守屋節子(砂金
 
  小生も同類。 年齢とともに物忘れがひどくなる。まず人の名前が出てこない。そして新た に物の名前を覚えることが至難のこととなる。こうした面目ない状況が「あれ、それと指示代 名詞ふえてゆき」 という軽妙な言い方で表現されている。かくして物の名前を思い出そうと して「記憶の底を掬(すく)う」ことが日常茶飯事となる。  しかし、私たちはこれを悲観することは全くないと強弁してみたい。物の名前を覚えること は一つの認識方法にすぎない。他との区別の意味しかない。いろいろな物事を細分化し、 概念のラベルを貼ることで、一体なにをどのように理解したというのか。はばかりながら、詩 は「あれ、それ」の世界にある。詩歌は、物事をラベリングや思考によって納得する行為で も、それを人様に披瀝する行為でもない。ただ、不可思議は不可思議のままに、その全体 のハーモニーの直覚に浴したいという孤独な願いなのだから…。

作品8                                           2009.2.15
 
 ぽっかりと心に隙間あるような雲の切れ間にのぞく青空
  

                              小柳健一(砂金
 
  雲の切れ間に清新な青空を見い出すとき、私たちはなぜか心洗われるような思いに囚 われる。それは、誰しもが経験するひとときの感傷であり、どこか郷愁に似ている。  「ぽっかりと心に隙間あるような」という表現は、たどたどしい表情があり、まるで幼い童の 歓声がひそかに聴こえるごときだ。雲の切れ間をただちに心の隙間とみる詩想は、開け放 たれた無垢な心に生起した真実だと思う。こうしたみずみずしい感受は、年齢とは無縁で あろう。そう思うと涙ぐましくなる。  小柳氏は、過去の記憶の殆どをなくした状態で、忽然と「砂金」の福岡支部の歌会に現 れたとのこと。そして、多くの秀歌を発表した数年後、足早に黄泉の青空へと旅立たれた。

作品9                                           2009.2.22
 
むらさきの一叢すずし仏の座たまゆらおのれにかへりたるかな
  

                              前田亮子(砂金)
 
 仏の座は、花茎を支える対生の葉を仏の蓮華座に見立てて、この名がついた。紫色の可 憐な花である。作者は、仏の座の一叢に涼しげな気配を感じたのだが、その一瞬、ゆくりな く「おのれにかへりたる」とのこと。この覚醒のごとき意識のひらめきはどこから来たのだろう。  私たち人間はつねに油断なく目覚めているのではなく、大方は外から手に入れた知識や 過去の経験によって、何を見聞きしても新たに感じることなくやりすごしている。いわば自動 反応装置にまかせている。つまり、リアクション(反応)なのだ。ところが、ふとも新鮮な感動に 出会うとき、この自動反応装置が機能を停止し、世界と裸のままぶつかる。リアクションでは なく、レスポンス(応答)。そこに「いたみ・はじらい・とまどい・おののき・おそれる」己れがい る。詩歌とは、こうしたレスポンスのたまゆらのかたちなのかも知れない。