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    葦笛コレクション
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作品40                                     2009.10.4
 
還らなむ 還りゆくべし大空へ咲きのぼるなり  わが立葵
                        谷井美恵子砂金
 私たちの肉体を形成する成分は、たしかに地上のものからできている。 鉱物や植物・動物となんら変わりない。にんげんは地上に生まれ、死のの ちは地上に解消する。しかしながら、その肉体に宿った「いのち」、その ことを「知る者」はどこから来たのか。私たちの本当の来歴は空にあるの ではないか。その真実のほどは、道元が語ったように断絶した法位のゆえ に確証するすべはないが、歌びとはこうした想念に囚われてやまない。死 は終りではなく、生まれる前に還ることなのかも知れぬ。  その詩想のおののきをもって、作者は立葵をおのがいのちの仮象として 「大空へ咲きのぼる」と歌うのである。ちなみに、作者には「しろじろと しづまる夏の時の間をひとはひとはみな立葵」という作品がある。

作品41                                     2009.10.11
 
ここに生れここに生き継ぐは懶惰とも よろこびとしも巡るはつなつ
                       坂巻富美代砂金
 生きて在ることの実感は、時としてこのような屈折した思い、それも 「懶惰」と「よろこび」という相反する自己把握の二元性において輪郭 される。病いをもつ身の上がそれに拍車をかけているのだろうが、肯定 と否定に揺れ動くこころの真実がここにある。  しかし、「懶惰」と「よろこび」を同時にみすえる心奥のしずかな意 識は、二者択一を自らに迫るのではなく、両者を一体として受け容れて いるのではないか。その眼差しにこそ、「巡るはつなつ」が輝いて在る のだと思う。

作品42                                     2009.10.18
 
夜をみつる思ひをおのれ寂しめば 遠蛙幼きこゑに鳴きつぐ
                    安藤 昭司(万象・砂金
 主観表明と客観描写を定型のなかにおさめて、絶妙のうつりあいを成 就する短歌表現のひとつの典型をみる思いがする。歌意を辿れば、おそ らく夜の床にあって作者はうつうつと胸中に湧き上がる思い、その埒の なさを寂しく観照している。そうしたひとりごころに寄り添うものとし て幼い蛙の鳴き声が遠くから聞こえているのである。  ここで味わうべきは、上句と下句の「うつりあい」であろう。上句の 意味としての感情表現は、下句の遠蛙の客観に照応して粘っこいまでの 生々しさをまとう。一方、下句の客観対象は、上句に照応して作者の意 識に彩られた独自の気配を孕みはじめるのである。そして、この不即不 離の主観と客観によって構成された一首全体が、ことばならではの世界 を創出し、そこに個というべき心奥の「自己」のけはいが翳るのだ。

作品43                                    2009.10.25
 
弟を見舞いたる日の路線バス 射し込む西日異様に朱し
                      及川 秀子砂金
 病床にあるかけがえのない「弟」の容態は、具体的に語られず、心 痛のほども言及されていない。病院に見舞いに行ったときのひとつの 状況を淡々と叙述しているだけである。しかし、その状況描写に平穏 な日常の中で己れ一人がひきうけた不安が濃密に翳る。路線バスに西 日が射し込んでいる。「路線バス」は、病む弟とは直接関与しない日 常世界の象徴として意味を膨らませている。しかも「射し込む西日の 異様に朱し」とのこと。その朱のひかりは作者の心に照りつけ、不安 を助長しているのだ。