落日にまむかひ歩む籠の中青き魚のいたく臭へる 日の落ちるさままつぶさにみながらに人恋ふ心おさへがたかり
高木泰子(砂金)
作者には「直覚」ともいうべき生理的な強い感受性がある。その濃密さのゆえ
か、作品の多くは、思念などとの付合いを必要としない直截な表現となる。「直
覚」自体をぶつけて読者に迫るちからをもっているのである。掲出歌の一首目は、
鯖や鰯などの青ものを購い、落日を真正面に見ながら家路についているという、
梅雨どきの夕暮れの一場面を差し出しているだけである。しかし、この直叙の意
味の向こうには、けだるくまぶしい夕暮れの町のけはいが満ちており、生臭さす
ら感じられてくる。そして、さらにまだなにかが濃密に感じられてくるのである。
作者の心に横溢し、それをもてあましている苛立ち。それは二首目に語られてい
るものなのだろうか。落日を挑むがごとく見やる作者の気迫、それはそのまま「人
恋ふ心」をみずから開け放つ気迫なのだと思う。 |