《谷井美惠子ノート》        10 11 12


ノートJ

おののきに満ちた「白」の抒情

 谷井美惠子の作品には「白」という語がしばしば表れます。その 「白」は白昼・白壁・白紙・白波といった熟語における意味にとど まらす、それぞれの作品を成り立たしめる必然かつ独特なリアリテ ィを持っています。 ・生きものの白息ほそく通ひつつすだれの網目をゆくじかんあり                     (歌集・水をのむ山羊)  ここでの「白息」は、寒い冬の日などに吐く息が白くみえるとい う意味で使われていません。「生きものの息」があらわに見えると いう戦きを表すものとして、「白息」という言葉が新たに造語され ているがごときです。もちろん、この歌の「生きもの」は、次の引 用歌と同じく見えざるいのちの気配です。 ・かたちなきものにつつまれ春の日をうす濁りして身のありにけり                        (歌集・白雁)  歌集「水をのむ山羊」に「黄昏やこの白濁の底ひよりたしかに吾 を見るまなこ在る」の作品があるように、この歌での「うす濁り」 は白濁とみなせます。春の日はどこか悩ましいまでの「いのちの気 配」に満ちており、大気もまた、ぼんやりうす濁りしています。こ うした万象の駘蕩のなかで、彼女は我が身もうす濁りして、かたち なきものにつつまれていく…、そんな一種の放下に誘われているの だと思います。このうす濁りの「白」は、あらわになった「存在の 色」のごとくです。 ・日常の境にあらむ一枚の白き餅の置かれてありぬ                      (歌集・日常空間)  「白き餅」は、ただ白色を表しているのではなく、「日常の境」 すなわち結界に置かれるべき禊の供物の色としての意義を持ってい るように思えます。あるいは、明白という熟語における「白」に近 く、厳然として発光しているといった表情が感じられます。 ・夕あかね 白き椿は永遠の一片となりて草にしづみぬ                        (歌集・白雁)  おそらく、この歌にあっては「白き椿」でなくてはならず、「赤 き椿」では「永遠の一片」となることはないと思います。それほど までに彼女にとって「白」は、必然の色なのです。落花は滅びでは なく、永遠の次元にかえりゆくことだとしたら、花の本質の色は、 「白」であるとの思いなのでしょうか。 ・見つめつつあれば白菊のいつしゆん炎上するときのあり                        (歌集・白雁)  この作品も同じく「白菊」でなくてはなりません。この歌は、物 の内部にはらまれた凶変の姿を幻視したものともうけとめられます が、私は「白装束」の花が一瞬のうちに「あの世の花」として浄化 される、そうした変位の戦きを歌ったのではと思っています。 ・中天に日の白く燃え人はみな誰も知らざる刻をもちゐつ                        (歌集・白雁)  赤く燃えるのではなく、白く燃える太陽。この感じ方はなにゆえ なのでしょう。おそらくは、太陽のあまりにも輝きが著しい光の散 華を畏れるとともに、「人はみな誰も知らざる刻をもつ」といった 人間の理知の及ばない超越的な計らいに対するおののきに殺到され ているのだと思います。 ・まひるまのつくゑの上の白紙より発ちゆきにけり秋の旅人                        (歌集・白雁)  谷井美惠子にとって「白」とは、赤や青といった有意味の色彩で はなく、意味を拒んで在る物の輝き自体かも知れません。そして、 その「白」は幽明を超えている。「詩」の色のごとく…。「白紙」 とは、彼女の詩魂そのものではないでしょうか。万象がくきやかに 浮き立つ秋のまひるま、その詩魂は彼岸此岸の境なく、「愚かしく たずねゆく」のです。

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