G「事の短歌」から「物の短歌」へ 

「早野臺氣資料集成2」の「あとがき」を加筆訂正したもので、前章と重複するところがあります。

「思いを抒べ、意を訴える歌」を超えようとした臺氣は、
その時点で大方の歌人と袂を分った


●「自然発生的短歌」は「事の世界」の叙述である  私たちは、折々に出会った風物やら生活上の事柄、それらに触発された思念や感情などの 「現実」を言葉に置き換えることを一般に表現と考えている。たしかに良質な作品は求心的 な言語空間をもち、その核にいわゆる主情が囲われる。かくして〈思いを抒べ、意を訴える〉 作品が創られる。当り前のことのようだが、ここには微妙ながらも抜きがたい先入観がある。 そこでは対象となった現実なるものと作品の中に内在せしめるべきリアリティとの混同と同 化があるのだ。  このことを臺氣自身の手になる「旧派の歌」を例にあげて検証してみる。 臺氣は、十八歳の頃から十数年間、和歌の伝統につらなる「旧派の歌」にどっぷり浸かって いたのである。  ・箕面山いくらもこぬに木のまより風のもてくる瀧の音あり  私たちは、この歌の表現対象を「箕面山」として受けとめ、涼やかなその情緒を捉えたも のとして鑑賞する。しかしながら、この見方は表現以前に表現すべき「現実」があり、作品 をその複写とみなすことである。西脇順三郎は「概念と現実」という詩論の中で「表現する といふことは対象を創造することであって、対象を複写することではない」と語っているが、 実際に私たちが向かっている表現対象とは、作品自体、表現に腐心している作歌の場面その ものではないか。 問題はこうだ。「箕面山」は「表現以前のアプリオリな現実」にすぎないのだが、この歌 に抒べられた情緒は通念としての「箕面山」にべったり貼り付き、それに依存して作品が成 立っている。言い換えれば、「箕面山について」という主題が表現内容であるとされ、「表 現以前のアプリオリな現実」と作品自体が孕む現実との混同、あるいは同一視において鑑賞 される。そこでは「対象についての叙述」として伝達する意味があり、それを可能にする言 語規範が前提としてある。  臺氣は、自らの「旧派の歌」の体験を踏まえて、こうした歌の在り方を「自然に従属した 自然発生的短歌」と規定し、その表現態度を「叙述的」としたのである。これは常套的慣習 的な情趣の再現を批判し、新しい思想や感覚を歌うべきとする革新の立場に近いが、臺氣の 場合は、あくまでも「見ること」に基づき、叙述を超える言語表現の変容を模索するもので あった。  昭和六年の「帚木」に発表した「香気ある現象に就いて」という歌論の中で、臺氣は述べ ている。 《うつくしい薔薇をみてゐると、真赤になつて、蜂のやうにぼくもその薔薇のうへに急にか けのぼる。そしてあヽ花になりたひものだとおもふ。やがてわれにかへつたとき嘗てうつく しい薔薇であつたときのことを、しかもみづからは言葉を失つて物言へなかったときのこと を人に告げたひとおもふのだ。この香気ある現象はあらゆる瞬間のものである。薔薇の形式 を分解していまひとつの薔薇がつくられる。(中略)このことは当然外形(対象)を表現の うへに於て自然以上の自然へと還元する考えに達せずにはゐない》 《自然に尾行するのが過去の方法であつた。それに対して「鶯は下手に歌ふ」といつたコク トーの言葉に二重の意味を含めて眺めてみる必要がある。歌は自然の従属的地位を離れて一 個独立しなければならぬのだ。即ち逆に自然へ働きかける―「再造」》  そして、自然発生的な叙述の歌に対して、「自然以上の自然へと対象を還元」する歌とし て、以下のような言葉のデフォルマシオンを伴う世界を「再造」してみせたのであった。 (昭和六年の作品)  ・ひらひらとネクタイたらす気ぶんには郊外にまでさきとどきてあり  ・ふるふると桜のはなの神経は古寺建築にうつくしくはいる  ・くるまひく牛はみどりにすきとほりなかの胎児の位置はをぐらき  これらは、奇抜な自然描写とか心象の特異な感覚的表現といった解釈ではすまされない世 界である。ここには「叙述」する「我」はなく、感興の伝達というより、ただ作品自体に造 型された清新な世界がある。「**について」といった「従属的地位を離れて独立」してい るのである。  こうした臺氣にとって、自然詠・時事詠・心象詠といった素材の違い、定型・非定型(口 語自由律)といった違い、直叙・比喩・象徴といった表現技法の違いなどにかかわらず、見 聞きする大半の作品は、木下利玄を除いて同じ「自然発生的短歌」なのであった。まずこの 一点において臺氣は殆どの歌人と袂を分かったのである。ちなみに、臺氣は戦前、多くのモ ダニストを輩出した「日本歌人」に創立同人として参加し、あたかもモダニズム短歌の旗手 のように注目された時期があった。その作品はシュルレアリスムの技法の成果のごとく評価 されていたのだが、果たして当を得ていたとは思われない。事実、臺氣は自分の立場をシュ ルレアリストとは一度も語ったことはない。お会いしていた三十数年前の遠い記憶を辿ると、 たしか臺氣は次のように言っていた。「ぼくは、超現実主義ではなくて、いわば超自然主義 なのです」。 ●述べる歌でなく、それ自体造型的なオブジェをなす歌を  この臺氣の考え方は、後年さらに深まり、「事」と「物」という対比において先鋭化して いったのである。 《見ることに中心が置かれると、物への意識が段々明晰なかたちをとつて強まつてくる。そ れに従つて物が内部の世界を露出しだす》 《風景だとか生活周邊の諸々の事物を我々は見てゐる。併し是は閉ぢた眼で見てゐるのであ る。對象となる外界は常に或は習慣的に皮膜を被つてゐるのだから是を破らねばならぬ。破 つて物の本質に對面するのは開いた眼の世界である。この破る為の技法こそ重要だ。破るこ とは此処では実は同時に創造することの技法そのものとなるである》 《歌が物の存在に関与してくるのだ。表現は分解し始める》 《ここで重要なのは向こう側が純粋に物であることは、こちらの作歌そのものがまた同時に 『物』であることだ、だから作られる歌は感情流露的な『述べる』歌でなく、反意味の、 れ自体造型的な一つのオブジェを成してゐるべきだ》  以上は「蝶番のある歌論」から引用したものであるが、ここに臺氣の「物の短歌(すなわ ちオブジェタンカ)」の核心が語られている。   おそらく、臺氣のこうしたラジカルな宣明に対して、殆どの歌人は、「一つの考え方・論 理としてはありえよう。しかし、正直なところ承服しがたいものがある」として敬遠し、挙 句は嫌悪感さえ抱くであろう。「思いを抒べ、意を訴える」という歌人の通念にまっこうか らぶつかっているからである。臺氣は先の「蝶番のある歌論」の中でさらに言い放っている。 《作歌に當つて感傷詠嘆はもとよりのこと一般抒情を否定すべきである。併し否定すれば自 己表現が出来なくなるではないかといふ抗議、この不満が起るであらう。それは所謂短歌性 とか伝統とかへの課題につながるものである。何たる緊縛。かような不満や不安は短歌史的 諸概念を固定的に受取る所からくる》  言うまでもなく、こうした戦闘的で挑発的な物謂いは、もちろん、こけおどしではなく真 摯に語られたものである。かつて安田青風が語ったように、臺氣は「極めて常識に富んで物 分りのよい温厚な紳士であって、言ふところ行ふところ何の見栄もけれんもない人物」だっ たのである。  なれば、なぜ「物の短歌」なのか。臺氣の言う「物」とは一体なにを示しているのだろう か。「物の短歌」という言い方自体に違和感やそぐわなさを感じてしまうとしたら、それは なぜなのだろうか。

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