A「純粋短歌」の主張

歌は自然の従属的地位を離れて
一個独立しなければならぬのだ。
即ち逆に自然へはたらきかける──「再造」(二郎)


昭和六年の『帚木』七月号に「香気ある現象に就いて」という表題 の早野臺氣(二郎)の短い歌論が掲載されています。二郎が自分の方 法意識を明確に述べたのは、戦前ではこの文章だけです。ここで二郎 は「自然の従属的地位」にある「自然発生的な短歌を克服した純粋短 歌」を主張したのでした。 《純粋な欲望は物象を溶解させる力をもつてゐる。その結果ふかく海 底を潜つた眼のやうに事物の奥をあらはすことができる》 《うつくしい薔薇をみてゐると、真赤になつて、蜂のやうにぼくもそ の薔薇のうへに急にかけのぼる。そしてあゝ花になりたひものだとお もふ。やがてわれにかへつたとき甞て美しい薔薇であつたときのこと を、しかもみづからは言葉を失つて物言へなかつたときのことを人に も告げたひとおもふのだ。この香気ある現象はあらゆる瞬間のもので ある。薔薇の形式を分解していまひとつの薔薇がつくられる》 《このことは当然外形(対象)を表現のうへに於て自然以上の自然へ と還元する考に達せずにはゐない。ぼくは此問題を久しく持ち続けた》
《如何にして対象を還元すべきであるか。これを絵画にすればいかに
  ' してDeformationはなさるべきものであるか》
《自然に尾行するのが過去の方法であつた。それに対しては「鶯は下 手に歌ふ」といつたコクトオの言葉に二重の意味を含めて眺めてみる 必要がある。歌は自然の従属的地位を離れて一個独立しなければなら ぬのだ。即ち逆に自然へはたらきかける──「再造」》 以上は、 その論旨の主要部分を再録したものです。  こうした主張は、知覚と表現についてのセザンヌを端緒とする近代 美術の考え方を彷彿とさせるものであり、事実、二郎は近代美術に並 並ならぬ関心を寄せ、その造詣も深いものでした。私は新しい歌を模 索する二郎の関心が、新しい文学論・詩論にもまして、「見ることと 表現すること」に関する絵画の方法意識に集中していたこと、そこに 二郎の前衛精神の原点があったと思っています。  それでは、二郎の言う「自然の従属的地位を離れ」「一個独立した 歌」、「逆に自然へはたらきかけて」「再造」された新しい歌とは、 どんな表現世界なのでしょうか。この歌論を発表した昭和六年当時の 二郎の作品を挙げてみます。(括弧内は初出誌) @ひらひらとネクタイたらす気ぶんには郊外にまでさきとどきてあり (心の華) Aくるまひく牛はみどりにすきとほりなかの胎児の位置はをぐらき (水甕) B薔薇墻からわれの半身いだすときえんとつにちかく月のぼりてあり (水甕) Cふるふると桜のはなの神経は古寺建築にうつくしくはいる(帚木)  いかがでしょうか。いわゆる叙景歌とは異様・異質な表現であるこ れらの作品には、単に風物の感覚的表現といった解釈ではすまされな い独立した世界があります。 @ひらひらとネクタイたらす気ぶんには郊外にまでさきとどきてあり  まるでシャガールの絵を思わせる作品で、軽快な心の拡張感そのも のが描かれています。「わが気分は***のごとし」と言った論理的 な折衷を初めから超えている表現に注目したいと思います。 Aくるまひく牛はみどりにすきとほりなかの胎児の位置はをぐらき  この作品には、胎児の透視に至るほどの牝牛の盛んな生命力に対す る凝視があります。これを幻視の世界と先走った「解釈」をするので はなく、すでにこの表現のまま私たちが一定の映像を受け入れてしま うこと、この鮮やかな事実を考えてみたいと思います。 B薔薇墻からわれの半身いだすときえんとつにちかく月のぼりてあり  これは構図の妙により、春の夜のどこかユーモラスで悩ましい気配 がかもされています。心理や思考のニュアンスを内在させず、ただ映 像としてのみ提出されていること、その独立性はなんなのでしょう。 Cふるふると桜のはなの神経は古寺建築にうつくしくはいる  満開の桜が咲き、その花吹雪が舞っている京都あたりの寺社の風景 が、二郎の目にはこのように映っている…。あるいはこのように表現 することで、古都の桜の季節、その世界全体を一つの生理のごとく受 けとめた直感が形を得ていると言えないでしょうか。  近代絵画は、自然(対象)を単に模写し、画布に移し替えたもので はない。その構図、その色彩、その絵筆のタッチなどによって、自然 に依拠しつつ、作者の直感した感覚を新たに画布の中に創造するもの であったとしたら、言葉による表現はどうなるのか。就中、長い伝統 をもつ和歌の場合は、常套的な過去の物の見方・感じ方を背負ってし まっている。自然を歌っても、どうしても過去の情緒・情趣の域を出 ない…。それはなぜなのか。どうしたら「いま・此処の清新な感覚」 を表現(再造)できるのであろうか。二郎が宣言した「自然発生的短 歌を克服した純粋短歌」は、おそらくこうした思いに根ざしていたと 推測されます。ただ、二郎の特質は、題材の新しさ、社会の時事や風 俗の取り込みとか、当世の自我意識の発露、すなわち思念の雄弁性の 方向に向かうことなく、愚直なまでに自然、語弊を恐れずに言って、 写生の次元で言語表現の革新に立ち向かったことにあると思います。  言わずもがなですが、題材やそこに生のまま盛り込まれた思念・意 味が今風であったにせよ、言語レベル、歌い方そのものが旧態依然と していて、わずかな時代変化で色褪せてしまう短歌は、数多くありま す。臺氣の時代だけでなく現代も同じ。むしろ、個性だとか自己実現 だとかが軽々しく取り沙汰される現代の方が、そうした底の浅い短歌 か再生産されていると言えます。  閑話休題。二郎が昭和五年に宣言した「自然発生的な短歌を克服し た純粋短歌」とは、単なるレトリックの斬新さでもなければ、当時に おけるハイカラな着想の垂れ流しでもなかった。ひとえに物を見るこ と言葉で表現することとの本質を問う、言葉の錬金術への挑戦であっ たと考えたいと思います。すなわち、外側から対象を通常の文脈でな ぞるのではなく、対象の奥に深く関与し、内側から「再造」しようと したものであり、それは、言語表現の「デフォルマシオン」を伴って のことです。この点については、次回、稿を新たに考えてみます。

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