捨 飾                                       *「砂金」2019年1月号 巻頭詠 

ひとむらのコスモス密かゆれゐたり秋のゆふべの風のみなもと

ゆくりなく水溜りのみづゆらめきぬ底ひはるかな雲もろともに

全きまま枯葉みちばたにまろびをり独りのじかんの終の戯れ

枯落葉ふみゆく音の幽(かす)かなり風のうからの現身なれば 

過ぎ去きにいつも従きゐし己が影ひとりなるときその色の濃し

蠟燭の炎ひとすぢ揺らめきぬ胸ぬち蠱くもののけはひに

灯を消せばにわか湧きくる雨の音 秋のまやみの鼓動のごとし

朝光にゆらり飛びゐる黒揚羽おのが闇より出できしゆめに

七十路の身を月かげに晒しをり羽化てふ変異あるべくもなく

ゆふべ咲きあした萎るる夕顔に空に知られぬ黙契のあれ

人間てふことば羞しも人と人のあひだに咲くや花のごときもの

いくにちか咲きて散りぬる返り花この世の風とかかはりあらず

置き去りにされしはこの身ひとしきり梢をゆらし過ぎたる風に

鱗雲とどろきなして移りゆく果てにありなむ空のきりぎし

この花の名もあの鳥の名も知らずいのち捨飾の冬に入りゆく

巻頭詠「捨飾」評  鈴木宏治                                                

・ひとむらのコスモス密かゆれゐたり秋のゆふべの風のみなもと

・ゆくりなく水溜りのみづゆらめきぬ底ひはるかな雲もろともに

 62年前、渡辺於兎男先生が理想とした、砂金の詩精神を具現すれば、これ

らの歌に集約されるのではないか。叙景歌としての一つの完成を見た思いが

する。

・過ぎ去きにいつも従きゐし己が影ひとりなるときその色の濃し

・蠟燭の炎ひとすぢ揺らめきぬ胸ぬち蠱(うご)くもののけはひに

 ふかくこころにねむるもの、つねに意識されるものではないが、人間が、に

んげんとして絶え間なく到達したいと願うもの、そうしたものに捉われ、逃れ

られない焦燥と言ったのも垣間みられる。

・七十路の身を月かげに晒しをり羽化てふ変異あるべくもなく

・ゆふべ咲きあした萎るる夕顔に空に知られぬ黙契のあれ

 とは言うものも、歳月は流れる。古稀を迎え、これからの自身の変化、劇的

な変化と言うものは難しい。ならぱこれからの生き方としては、自然の成り行

きとともに、自己との戦いなのではないか。

・人間てふことば羞(やさ)しも人と人のあひだに咲くや花のごときもの

・いくにちか咲きて散りぬる返り花この世の風とかかはりあらず

・置き去りにされしはこの身ひとしきり梢をゆらし過ぎたる風に

 作者の身に付いた優しさは、自身の一つの区切りとなる狭間に戸惑い、こ

れからを模索しているのではなかろうか。

・この花の名もあの鳥の名も知らずいのち捨飾の冬に入りゆく

 「捨飾」という聞き慣れない言葉だが、生の指標として意味を持つのであろ

うか。

   (砂金3月号掲載)



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