詩歌鑑賞D


軽妙かつほろ苦き人生歌●入谷稔歌集『くさらぬ詩人』『人の子も花』から



                                         入谷稔★歌誌「夢殿」発行人
 拝啓 入谷さまにはご健勝のことと拝察しております。  過日は、貴重な御歌集「くさらぬ詩人」「人の子も花」を賜り、あり がとうございました。私のような者にもお送りくださり、恐縮しており ます。『夢殿』は、いまは亡き山崎秀二郎さまが所属しておられた歌誌 と存じます。二十年ほど前、山崎さまと同人誌を出していたことがあり ます。私はずっと一人すさびを決め込んでおりましたが、三年前から埼 玉の谷井美恵子が発行人である『砂金』という結社に入っています。                      さて、御歌集を早速拝読いたしました。 日常だれもが目にふれること、耳にすることを深く鋭く感受され、折 々のさりげない感興の吐露として展開しておられるのですが、それが自 然におろそかならぬ心の彩・翳り・痛みの表現となっておられると感銘 いたしました。しかも、それを軽妙な語り口で実現しておられるところ に入谷さまの真骨頂があるように存じます。 ・落ちるまで死守するものを持つように見えるからいい光る雫は ・足をくみ手をくみ床によこたわる若かりし日になかりし業ぞ ・九分九厘水に沈みてつながるる貯木あるいは今日のうつそみ  生きてあること、その不思議、その戦き、そのよるべなさといったも の…、その重さをむしろ淡々とあしらうことで、かえって人生の深遠に 触れておられるような珠玉の御作品に、入谷さまの一種の歌の極意みた いなものを感じております。 ・人の身のなににあたるか年ごとに太る桜の幹のこぶこぶ ・かのような自虐もあるか浮子ひとつ見据えてながく人は動かず ・どれほどのものが命か鉄棒に下がりておもう我が身の重さ しかし、その指し示される世界は、シニカルでみもふたもないような 客観の世界ですが、それでいてどこか人肌ほどの温みがあります。これ が魅力なのだと思います。 ・硝子戸に蝶とまりおりうつしみをさらす裏側みてしまいたり ・ホームレス寝るそばの木に掛時計かけられてわが時計と合えり ・物干さぬ物干し竿の端とぎれそれから先の予断を生きる おそらく、次の御作品の「わが身一つが投げ出されをり」という厳然 たる事実を受入れられ、そのことによって反ってなにごとかと深いとこ ろでつながる、人のこころの逆説のように思ったりします。 ・目覚むればしぐるる蝉の声たえてわが身一つが投げ出されをり ・天と地をいろどる公孫樹のなかに立つわが血の色も明るからんか ・さわやかに暗渠ながるる浄水の音ありみえず見えずともよし ・夢違うてこそいまがある透き通るほどかすかなる花影のなか 生意気な物言いで申しわけございませんが、哲学とか宗教といったも のよりも、もっと人懐かしく、もっと些細で、それでいてもっと普遍的 な意識(魂)の覚醒、そのひらめきを感じております。本当に味わい深 い御作品に心洗われる心地がいたしました。 ・花苑の朝の香の中ひょうひょうとゆけば自浄のおのずから来よ 入谷さまのご健康とますますのご活躍をお祈り申し上げます。 平成十三年四月二十九日
                           藤本朋世


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