詩歌鑑賞C


うべなひの微かな傷み●由良アイ子歌集『枯野の琴』から



                                   由良アイ子★米満英男編集「海馬」同人
 若葉の美しい季節となりました。お変わりなくご清祥のことと拝察し、心より お慶び申し上げます。  この度は、御歌集『枯野の琴』を発刊され、お祝い申し上げます。また、貴重 な御歌集を私までにお送りいただき、恐縮しております。お礼申し上げます。 早速、拝読いたし、勉強させていただきました。珠玉の御作品ばかりの中で、 とくに以下のような御作品に心ひかれました。 ・冬の霧うすき街路に佇みぬ人にはあらぬ何者か待ちて ・逃避するいづこも持たず寒の夜はさざなみのまま凍るみづうみ ・照りかへすなにもなければ追はれゐる気配にふりかへる芒原 ・零れくる花は柊わが生きる世は照りかげる昨日も明日も ・わがおもふ人みな遠くなりつつを枯紫陽花鳴れりさやさやと ・わが庭を結界として冬空はひと筋かなしみの陽をふらす ・目覚むればけだるき獣のにほひして朱をしたたらす天竺葵 ・秋の陽をふらしめていま向ひ合ふ朝餉の卓のさみしきあかるさ ・花合歓はゆふべにそよぎいまわれの身に静脈は蒼くめぐれる ・わが心見抜かれてをりかの眉は月の刃とならむ気配す ・命もつその不安こそたしかなり身の丈をこす向日葵まぶし ・通ひあふものなく過ぎし身の自在思へば牡丹、白雨にうたれ ・寝つかれぬままに聞きゐる湯の音にここどこか濡るるごとし ・わが心われは信じず昼顔に真夏のうすら寒き風たつ ・真夏日のつづく世にしてまぼろしの人に逢ふことこのごろ易し ・晴天にはつかかかれる冬の霧わが血脈のさざめくごとし ・残生といへど夢ある朝な朝な梅雨一粒のこころなりけり ・春蘭のうすきみどりや家族にも知られぬ顔をもつわれなるを ・風の色ふかくなりたりいつしかと桔梗の青のたそがれ来る  「零れくる花は柊わが生きる世は照りかげる昨日も明日も」「秋の陽をふらし めていま向ひ合ふ朝餉の卓のさみしきあかるさ」「通ひあふものなく過ぎし身の 自在思へば牡丹、白雨にうたれ」。こうした御作品から、世界のありようをその ままに身ぬちふかくに受け入れて、しづかにうべなうお気持ちが伺えます。その 内なるうたびとは「春蘭のうすきみどりや家族にも知られぬ顔をもつわれなるを」 という「個」なのですね。 また、癒しとも非情ともつかぬ形なきものとの深い感応に敬服いたします。 「わが庭を結界として冬空はひと筋かなしみの陽をふらす」「晴天にはつかかか れる冬の霧わが血脈のさざめくごとし」。それも声高でなく、あくまでも「おの づからなること」として指し示される御歌の姿に、毅然として、かつ優しい御心 を拝察する思いです。 「わが心われは信じず昼顔に真夏のうすら寒き風たつ」。生意気ですが、ここ にうたびとの真実があるのだと思います。今生にあって、うたびとは生きの日に ゆゑ知らぬそぐわなさ・欠落感みたいなものをかかえているのですね。その内な る「修羅」「夜叉」の所以はなんなのか。よすがの心そのものが迷いであり、病 であるという深い思いなのかも知れないと感じ入りました。 素晴らしい御歌集、大切にいたします。 とり急ぎ、お礼申し上げます。 末筆ながら、くれぐれも御身御大切にと念じております。 平成十二年五月二十一日                                  藤本朋世 追伸  おのころの島に少女期過ごしたるわれは第二の故里と呼ぶ 実は、私は淡路島の生まれです。沼島の向かいの南淡町阿万です。父は灘の出 身でした。いまは両親が逝き、親類もなく、阿万に小さな墓が残っているだけの 故郷になりました。

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