詩歌鑑賞B


優しいこころの陰影田土才恵歌集『風をまといて』から

 やっと秋空がひろがっていますが、どうやら今年の秋は、足早に駆け去っていくよう
です。お変わりなくご活躍のことと拝察しております。
  過日は、貴重な御歌集『風をまといて』をお送りいただき、ありがとうございました。
  さて、久々にゆったりとして、人間のもつこまやかなこころの襞の陰影を味わう喜びに
浸ることができました。ご主人さまと同じく、本当に抑制の利いた表現のたしかな強靱さ
が、根っこにおありなので、変な言い方ですが「安心して」拝読することができます。
 最近は、やたら声高かったり、舌たらずな着想の垂れ流しだったり、気負いだけの歌が
氾濫していて、こうしたきちんとした御作品に会うと、ほっとします。生意気を言ってご
めんなさい。
  日常のこもごもを題材とされたお歌が殆どですが、やはり女の人・主婦でなければ絶対
にとらえられない世界が繰り広げられていて、短歌の一つの典型を教えられたような気持
ちがしています。
  以下、とくに注目させていただいた御作品を抄録いたします。
・地底よりもるる気迫と思うまで川原暗し風凪ぎしあと
・花殻のちいさきままに素枯れたつ山紫陽花のとき過ぎしかげ
・ひと夏を好みはきたるスカートの白も疲れぬ風秋となる
・砂山の砂にかすかな足跡を残して来たり汝が住む町に
・ミルクピッチャーをミルクが伝う速度よりふと遅れゆくわれの思考は
・子のうえに及ぶ力のある今と思わねどいつしか重くものいう
・日陰より出で来し犬がゆっくりと向き変え行けり軌道ゆくごと
・捨てがたく干すバスタオル子とわれの間の風にはためきており
・三日月を機影小さくよぎりゆき撒きてこぼるる時のかけらよ
・焼付の上がりし写真秘めごとのことくかかえて雑踏をゆく
・カーテンを一枚曳きてわが世界守らんとする病室の隅に
・吹く風に帽子煽られ野辺にたつ無為なるときの清したまゆら
・子と帰り来る夕まぐれ光芒のいま届きいん夕日観音
・地の中にひそと伸びゆく根をもちてわれと草木と春焦がれ待つ
・ひたひたと河口の潮ふくれゆく夜半のあかりにまぎるるなくて
・仕事終え辿りつきたるバス停に夕星ひとつわれとむきあう
・出てゆきし子の部屋に入り傾ける日射しはひそと椅子に寄りゆく
・かぐわしく香る林檎の皮剥けば立春の夜の更くるにまかす
・テーブルに赤き林檎の光るさえわが眼にいたし人逝きし夜は
・下宿より明日帰り来る子のために焼けるプリンの黄なる輝き
・小豆ほどの傷といえども厨ごと奪われて身のおきどころなし
・あづけおく心とならん水羊羹作りて寝ぬる少しつかれて
・時を置きまた鳴りいずる目覚しの機械といえどけなげと思う
・時少しすぎしと思う機の窓に蠍座はいまだ位置を変えざる
 例えば、『ひと夏を好みはきたるスカートの白も疲れぬ風秋となる』『捨てがたく干
 すバスタオル子とわれの間の風にはためきており』『あづけおく心とならん水羊羹作り
 て寝ぬる少しつかれて』といった御作品は、日用品や日常のちょっとした作物が、物神
 のように大きなこととして自身に関わっている一種の生理が伺えます。スカートもバス
 タオルも水羊羹も、作者の分身のごときです。こういう感覚は、男どもにはわからない
 ものなのです。
  また、『吹く風に帽子煽られ野辺にたつ無為なるときの清したまゆら』『かぐわしく
 香る林檎の皮剥けば立春の夜の更くるにまかす』といったお歌には、成彦さんとはまた
 違った自然と通底するたしかな眼差しを感じました。
  『テーブルに赤き林檎の光るさえわが眼にいたし人逝きし夜は』。このお歌から、西
 東三鬼の『葡萄あまししづかに友の死を怒る』という俳句を思い出しました。かたや視
 覚で悼み、かたや味覚で悼む。そんな比較を楽しませていただきました。
  本当に素敵な御歌集を拝読させていただき、ありがとうございました。
  どうぞこれからもご活躍されますよう、お祈り申し上げます。
  平成十一年十一月一日
                                  藤本朋世

 
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