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詩歌鑑賞I


実在と非在のはざまに●山下和夫歌集『影』鑑賞ノート



    山下和夫★歌誌「HANI(埴)」主宰

山下和夫さま


 猛暑がつづいております。くれぐれも御身御大切にとお祈りしております。

 御歌集「影」を拝読いたしました。

 まずもって[影]という基本テーマで歌集一巻をつらぬかれていること、そ

の発想の展開の豊かさと鋭さ・奥深さに深く敬意を表します。それは「実在

と非在の間のハーフな領域を行き来し、作品において現実なるものを異化

して形象化する」という、山下さま独自の方法意識を実践する上で、[影]は

もっともふさわしいものであったのではと推察します。

 もちろん [影]そのものも実在の影と非在の影があり、それゆえに作品世

界では、さまざまな意味(詩的認識)、様相をもって展開されています。

・一塊の雲にわが影消えるたび亡きわれとわれは歩みておりぬ   

・人は樹に樹は人に似て集まれば影重ねあいつつも孤立す     

・古塀にうねるわが影と歩みおり生きいるはゆがみたわみいること

 これらの作品における[影]は、物の影、曳く影、連れ添う影といった実在側

からの意味をもちますが、それとは別の次元の意味、すなわち非在側の影が

表れ出るごときです。一塊の雲に消えるわが影にかつて死にたる私の影を

同時に見る。人と樹の影の重なりを見ながら、重なり合わないそれぞれの固

有の影を直覚する。古塀に映るわが影がおのずから露わにするむごい真実

…。そして、これらの[影]は、付随する影ではなく、まるで本体のごとき様相を

呈してくるようです。

・老いざれば放下しがたしうっそりと独りなるときいつもいる影 

・会釈してゆける二人は曼珠沙華の炎を越え他界の影となりいる  

・気づきやる時のみ影は濃くなりてわれより深くわれを視ている  

 独りなるときにこそ、その存在を示す影。他界に帰るほんとうの姿としての

影。どちらがほんとうのわれなのか、気づきやる自分の影に別なる意思をも

つ「わが影」がある。それは実存のふかみでの眩暈するがごとき気づきでし

ょうか。

 もちろん、日本語の[影]には、隠されたもの、忌むべきもの、さらには光や

魂といった意味もあり、これらのニュアンス・気配をもとりこんで、影の連作と

しての作品を自在に展開され、そこに作者の豊かな想像力と緻密かつ大胆な

言語表出を見る思いがいたします。

・やがて影背負わん稚らよ鳥よりも空のまほらへ自が声放て    

・すずやかに影滴り来 ゼロ戦の君 自死の君 相対死の君      

・梅擬一生を擬と呼ばれつつ影連れ黙し散りてゆきたり      

  やがて背負うべき影とは己にかかずらう業なのかもしれない。歴史に翻弄

されつつ逝った若き戦友の魂。己が宿縁を受け入れつつ散りゆく梅擬が連れ

る影とはなにか。影もまたひとつのいのちの光といった主張を想起してしまい

ます。

 このように展開される作品群に通底しているのは、みもふたもない不条理、

二元論的な考えではとらえられない混沌です。しかし、それは悲嘆すべきも

のでも抗うべきでもない「ありのままの事実」だと思います。ご高承のとおり、

インドのヒンズー教や仏教などでは、それを「マーヤー」と呼んでいます。

単なる虚仮とか、仮象といったことではなく、あらゆる矛盾、聡明と愚昧、生

と死が二律背反ではなく、それがそのままの真実の在り様なのだとする根

源的な受け入れなのですね。

・在るものをすべて呑み込みなお涼し〇(ゼロ)とう無辺無色の一字    

・生きていて良きか悪しきか歳晩の湯上がりの影も体重計に 

・もろもろの骸呑みてや草紅葉音なくあかねの天とつながる   

 一見、軽妙に詠い出されたこうした境地に、底知れぬものを感じてやみ

ません。

 また、次のようなことさらなリフレインの文脈によって、存在の混沌、相互

依存のマーヤーを形象化されている作品に注目いたしました。

・風ゆきてのち樹はさやぎなお遅れ木洩れ日さやぎわが影さやぐ 

・日照雨来てまた日照雨いる昼の夢醒めてめぐりに影一つ無し    

 山下さまの御歌は、どこか谷井美惠子さまに通じるものを感じてやみま

せん。かつて「具象と非具象の間を行きつ戻りつしながら、日常の中にひ

そむおそろしいものを愚かしく問い続けたい」といったことを語っておら

れましたが、これは山下さまの世界と同じに思えます。私などは及ぶべく

もありませんが、御作品の数々に親しいものを感じております。生意気な

物謂い、おゆるしください。

・立ちどまりまた影を曳き歩みゆく人間という貴なる旅人     

 この冒頭の御歌、一巻を読み終えてふたたび拝読したとき、なんだか涙

ぐましくなりました。人知れぬままの歌びとの孤独と栄誉をひそやかに宣

言されているのではと思いました。

 牽強付会で的外れな感想を申し述べたかも知れません。ご寛容ください

ますように。拝読しながら、なにか厳粛な心持ちになり、思わず坐り直すこ

とがたびたびございました。

 ほんとうにありがとうございました

 どうぞご健康に留意され、ますますのご活躍をお祈りいたします。

   平成二十七年八月十五日                    藤本朋世


【附記】

 この感想の手紙を投函した後、山下和夫さまのご子息から丁重なお礼状を

いただきました。そこには七月三十日に急逝されたことが書かれていました。

つまり、この感想文は読んでいただけなかったことになります。文中、「拝読し

ながら、なにか厳粛な心持ちになり、思わず坐り直すことがたびたびございま

した」と書きましたが、この歌集に籠っていた衝迫力は、遠からずこの世を離

れる山下和夫さまの魂魄のなせることであったのかも知れません。ただただ

ご冥福をお祈りいたします。


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